【毒親】思い返せば返すほど

私の親は完全に毒親だった。

現在アダルトチルドレン毒親、そういった知識を持ち親への希望を一切捨てた。

そんな今だからこそ毒親との過去を記そうと思う。これは自分の過去を整理する目的でもある。

全ての嫌な過去を文章化し、整理し終えたあかつきにはこの思い出すのも嫌な過去を完全に捨て去る。

そして悲しく寂しかった幼い自分を成仏させてあげたい。

また、今現在毒親に苦しみ、たまたまこの記事を読んでいる人がいたら、希望を持ってほしい。いつか必ず苦しさから逃れられる日が来る。

さっそく過去を振り返ろうと思う。

母はシングルマザーで父親とは離婚、17歳年の離れた父親違いの姉は家を出て飲み屋で働いていたが長く続かず無職になり実家に帰ってきていつも家で寝ていた。

姉は奈々子。その下には長男、姉から見て弟、私から見ると兄。そして私、弟の4四人兄弟だった。

そのうちの長男である兄は毒親の作る機能不全家庭に潰され自殺してしまった。当時はわかっていなかったが今になってわかる。

こんなおかしな家庭で育てば死にたくもなる。

母親の毒親ぶりはあげればキリがないのだが、鮮明に覚えているエピソードがある。

私がまだ幼い頃、年齢ははっきりと覚えていないが小学生にも満たなかったように思う。

母はよくパチンコに行っていた。

その日もパチンコに行った。母は

「夜7時までには帰る。」

そう言い残し私と弟を家に置いていった。弟はまだ歩くのもおぼつかない幼さだった。

姉はまだ家に引きこもる前で実家にも帰ってきていない時なので私と弟の二人で母の帰りを待った。

お昼から母はいなくなったのだがそれからの時間がとても長く感じた。

最初はまだ外も明るく、夜の7時になれば母に会える。そう思えば辛くはなかった。

食事は口にしていなかったように思う。

弟とテレビを見たり寝たり遊んだり帰りを待った。

ようやく、約束の夜7時。やっとママに会える。当時の私は母をママと呼んでいた。

だが母は帰ってこなかった。

一時間、二時間と時間はどんどん過ぎた。

(ママに何かあったのかな…?事故にあってたらどうしよう。寂しい…。)

心がザワザワして落ち着かず、テレビも遊びも楽しくない。お腹も空いてるはずだが全然食べたくならなかった。

時計ばかりを見つめた。弟は寝たりテレビをただ眺めていたりしていた。

幼い私は気が気ではなく、当時家に置いてあった置物に両手を合わせ泣いてすがったのを覚えている。

「どうかママが無事に帰ってきますように!良い子でいるしわがまま言わないからおねがいします、ままに会いたいです。」

そのようなことを神棚と置物の前で泣きながら唱えていたように思う。

その当時、電話連絡もできず神頼みすることしかできなかったのだ。

時計は夜の10時も回り、家の中で待ち続けることができず玄関の前で母を待った。

家は10階建てのマンション、その玄関ロビーのオートロック前で弟と手をつなぎ泣きながら外を見つめ母を待った。

すると一階にお住まいの奥さんが私達に気づき、どうしたのかと声をかけてくれた。

「ママが帰ってこない。」

すると一緒に家の中で待ちましょう、と家へあげてくれた。

お菓子や飲み物まで用意してくれてとても優しかった覚えがある。

だが幼い私は母がこのまま帰ってこないのではないかと恐怖でいっぱいでお菓子も飲み物も喉を通らず泣き止むことができなかった。

奥さんは母が帰ってきたら迎えにこれるように、とメモを私達の玄関ドアに貼ってくれた。

「お子様を預かっています。○○○号室 名字」

そして長い待ち時間が過ぎ一日が終わろうとする0時ちょっと前にピンポンがなった。

私はとっさに玄関へ向かう。

奥さんも弟と手を繋ぎながら玄関へ。

ドアを開けると笑顔で申し訳無さそうな顔をした母がいた。

パチンコ帰りのタバコ臭さと香水と、外の臭いがした。

私は母に抱きついた。

母は

「すみません!こんな夜遅くにうちの子が迷惑かけて。仕事が長引いてしまったんです。よかったらこれどうぞ〜!」

そう言って何かを渡した。

当時の私は奥さんにお礼も言わず泣きながら母に抱きついていた。今思うと非常識であった。

そして一階から自分達が住む9階へあがるエレベーターで泣きじゃくりながら

「ざみじがっだぁああ!」

と泣きつくと母は

「なんでおとなしく待てないの!?メリーのチョコ(母がよく買うチョコレートメーカー)あげるハメになったしょや!」

そう私へ怒鳴りつけた。

その後のことはよく覚えていない。

この記憶は私を長い間傷つけ続けることとなる。

成人した後も夢にでて、体調が悪い時も頭をよぎり、当時の辛かった感情が蘇り心臓が苦しくなった。

このような出来事が積み重なり、私は寂しいという感情を閉じ込めるようになった。

同時にあまり笑うこともなくなった。

それに比べて弟は私よりは優遇されていた。

毒親を知ってこのことを思い返すと本当に憤りを覚える。

よくも自分の子供を長時間置いていけたものだと。そして泣きつく我が子より世間体、そしてたかがマリーだかメリーだかのチョコレートが大事だったのかと。

そして外面だけは異常によかった母親。

まだまだ毒親の毒はこれだけではない。

次の記事でまた書こうと思う。