毒親と気づくきっかけ

毒親をもった人達はえてして自分を軽く扱うように思う。

潜在意識として

「母親にも必要とされないダメな人間」

そんな風に思ってしまう。いや、思わされてしまう。長い時間をかけて。

私も例外なくそうだった。

 

家に居場所がない。

母親は仕事で手一杯、休みはパチンコ。

 

小学校の頃朝食は毎回インスタントコーヒーに菓子パン。またはインスタントラーメン。

毎朝学校に着く頃には胃が痛くなっていた。今思えば朝っぱらからカフェインと油まみれの菓子パンやインスタントラーメンを食べていればそうなって当然だった。

誰もいないリビングはひんやりしていて薄暗いなか一人でインスタントを口にして誰にも挨拶せずされず家をでる。

キリキリと痛む胃で勉強に集中できなかった。

家庭科の授業で栄養の大事さ、日々の食生活のありかたを学んだ時、家の食事とは違いすぎて慌てて母に報告した時があった。

「お母さん、栄養バランスはすごく大事で野菜とかいっぱいとったほうがいいんだって!」と。

すると母は

「毎日3食も食べなきゃならないんだからそんな一食一食こだわっていられない。」

母はこういう人間だ。

このせいか私は独り立ちしてからは健康に気を使うようになった。

ジャンクフード、インスタント、お菓子は基本的に摂らない。付き合いやたまにの息抜きで食べることはあっても常食しない。添加物を摂らないよう気をつけ自炊を心がけた。

すると実家で生活していた時いつも感じていた胃痛や胃もたれ、ニキビや疲れやすさ等すべて改善された。当たり前といえば当たり前の結果なのだが。

母は自分の時間がなくなるくらいなら子供は不健康になってもかまわない。そんな人だ。

そんな母親はデパ地下で買い物するのが大好きだった。

美味しい果物や美味しいカニなどを買ってくることもあった。

だがそれを食べるのはいつも年の離れた姉と母親だった。

いつも決まって聞こえてくる会話はこうだ。

母「美味しいから食べて。」

姉「妹と弟はいいの?」

母「あの子たちはこういうの嫌いだから。」

嫌いと言った覚えもなければそもそも食べさせてもらった記憶がない。

そして最近になって何故母は姉にだけ食べさせていたのかわかった気がする。

姉はその頃一応働いていて、時々母親にお返しということでデバ地下からおみやげを買ってくることがあった。

母は利益があると見込んで姉には食べさせていたのだと思う。

何故こう思ったのかというと、私が就職し独立した途端母が美味しいからこれ食べなさいとデパ地下の果物やらなにやらを買って渡してくるようになったからだ。

本当に恐ろしく思う。

私が必要としていたのは今じゃない。経済力もなにもなかった子供時代だというのに。

そんな母だったが子供だった私は母が好きだった。

子供はみんなそうだ。

どんな虐待をする親も、子供を軽くぞんざいに扱う親であっても、子供というのは母を無条件に愛する。

私は幼い頃おばあちゃんからもらったお年玉(一度母に渡して母から少し貰える)で母親に誕生日プレゼントを毎年かかさなかった。

お花や手紙、母が好きなチョコ、買える範囲でいつも用意した。

母がパチンコで負けるとその月は経済的に厳しくなった。

中学の頃はいつも授業料を払うのが遅れるため私だけ事務室に手渡ししに行っていた。

今思うと自分なら、子供にそんな思い絶対させない。

母は本当に子供のことがどうでも良かったのだと実感する。

そして更にアダルトチルドレンに拍車をかけることになったのは姉の存在だった。

飲み屋をやめて実家にもどってきて毎日寝ていた。

姉は機嫌が良い時は表面上思いやりのある態度もとる姉だった。だが一旦キレると途端に豹変する。

例えばある日のこと。

ドアを閉める音がうるさかったらしく姉が部屋からでてきた。

「うるさいんだけど!私へ何か文句あるわけ?家にずっといるからうとましく思ってるんでしょ!」

そんなこと思ったこともないので違うよ、と姉をなだめる。

はたまた姉が自分から話しかけてきて、

姉「宿便って知ってる?腸に便が貯まるとすごい体によくないんだって!もう二三日でてないからやばい!」

「そうなんだ、早く腸から出て行ってほしいね!」

そう言うと途端に無表情になり睨みつけられ、

姉「どういう意味?私に出て行けって言ってるの?!ねえ!」

そう言ってどつかれる。

姉は私と15歳以上年が離れている。身長は170近くあり私は当時小学生だったのでとても怖かった。

自分からはなしかけてきて、それに対して普通に答えるといきなりキレるという理不尽な態度をいつも繰り返された。

そんなものだから正直話しかけてこられるのが嫌になった。

ある平日の夜、部屋にいるとコンコンとノックされた。母は夜勤でいなかった。

姉だった。

姉は当時政治について私に熱く語った。

私はちゃんと返事しようと頑張って話を聞き、相槌を入れながら話を聞いた。

だが私にも他にやりたいことはある。

小学高学年だった私は宿題もやりたいし、姉が話し始めて30分は経っていたので

「そうなんだね、今の日本は大変だね。そろそろ宿題はじめたいからまた聞かせて!」

私は言葉を選び不快にさせないよう注意を払った会話しかできない子になっていた。

とてもとても気を遣い本音で話したりできなかった。

姉はそれでもキレる。いきなり無表情になり睨まれ

姉「私の話つまんなかった?」

「そんなことないよ、ためになったよ。でもそろそろ夜9時だし宿題しなきゃ。」

姉「そんなこと言ってつまんないとでも思ってんでしょ?!そもそも私がこうして無職で家にいるのはあんたのクズな父親のせいだから!!あんたの父親に私の人生はこわされた!!謝れ!」

そういってどついてくる姉。

私と弟は同じ父親だが姉と兄とは父親が違う。

だが、このようにいってくるのは姉だけで、兄は私達をとてもかわいがってくれていた。

兄はこの時もうこの世にはいなかったが。

姉はキレると私を寝かせてくれなかった。

「ねえ!ほんとのこといいなよ!私がきらいなんでしょ!死ねばいいんでしょ!」

そう攻め立て、そんなことはないと否定してもまた同じセリフを怒鳴ってきた。

結局私は朝まで怒鳴りつけられ、

姉「最悪!あんたなんか学校いくときに死ねばいい!」

そう言ってドアをばんっ!!と閉められた。

姉はこれから一日部屋に閉じこもって眠るのだ。

私は一睡もせず学校へ行かなければならなかった。

本当に辛かった。

母に打ち明けたこともあった。お母さんが夜勤にいっている間、こんなふうで辛いと。

母は

「我慢しなさい。お母さんは仕事で疲れてるの!」

そう言った。

これはまだマシなほうで、もっとひどい時姉は殴る蹴るの暴行を加えてきた。

体格差が大きいし、小学生である私が15歳年上の大柄な大人に抗うことはできなかった。

いつも流れは同じ、自分から話しかけてきて、どんな返事を返しても突然ブチギレる。

怒鳴られるだけで済むか、殴られ蹴られるか。

皿をわざとキッチンに落とし

姉「あーあ、手が滑った。片付けて。」

そう無表情で言われた時は本当に怖かった。

そんな姉も母と同じく、外面はよすぎというタチの悪さだった。

ニコニコニコニコ、おべっかつかい。

運動会で友達から

「お姉さんにこにこしすぎてて怖いね。」

と、お昼後に言われた。確かに無駄ににこにこ愛想を振りまいていた。

そんな姉の事を母はよく私に愚痴った。

母「働きもしないで〜あの子のせいで借金できて〜」

だが母は姉の前では姉にヘコヘコする。

小学生の私は混乱していたように思う。

そして母は弟や姉に私の愚痴をいうこともあった。

つまり家族内でその場にいない誰かの悪口を、母が率先していつも言っていたのだ。

普通の親であれば、兄弟同士仲良くしてほしいと思うはずなのだが母は違う。

できれば仲が悪いほどいいとすら思っていたように思う。

そして皆と仲がいいのは私だけ、という状況を母は好んでいた。

今思うと狂ってるとしか思えない。

自分なら自分達の子がいがみ合うなんて想像もしたくないし、もしここはよくないと思う点があるなら愚痴なんて言ってないで本人に直接

「そういうとこはおかしいと思うよ。あなたのためにもならないよ。」

と伝えるべきだ。

そもそも母は子供のために叱るなんてなかった。なんにも干渉しない、ただ悪口を兄弟の誰かに愚痴る。

こんな家庭環境のせいか、私は自分を大切になんてできなかった。

高校の時、初めて恋人ができた。

恋人は10歳も年上だった。

彼は甘い言葉で私を包んだ。今思うと彼は高校生とヤリたいだけのロリコンおやじだ。

だが当時の私にとっては救いの手だった。

なぜなら家に彼がくると姉から暴言、暴力を振るわれることがなかったからだ。

姉は彼が来ると今まで家で着たことのないおしゃれ着などを着て、いつもにこにこして猫なで声だった。

本当に不気味だった。

彼は私を褒めてくれるし優しくしてくれる。

ワガママを言っても受け止めてくれた。

それが私を逆に苦しめることとなった。

なぜなら家での家族からの扱いに愛がひとつもないことを実感してしまうからだった。

例えばトイレで吐いてしまった時。

姉は私を怒鳴りつけた。トイレのドアを外からドンドンドンドン!叩きながら

「なにしてんの?!吐いてるの?!」

私はとりあえず吐き終わりトイレを掃除してから外に出ると姉が

姉「あーあ、トイレ汚れたしょ!はあー、最悪!」

と掃除したにもかかわらず悪態をつかれ、妹の体調より便器の心配をされる。

母は「大丈夫〜?肥満にならなくてよかったしょ!」

と具合悪い人に普通では言えないような言葉をかけてくる。

だが彼は違った。具合悪くて吐いてしまった時

「大丈夫か?ちょっと休もうか。」

まあこれは普通の対応なわけだが、今まで普通の優しさに触れたことのなかった私は彼にとことん依存した。

自分は今までゴミのように、はたまたそこにいないかのように家族から扱われた。

彼から一人の人間として扱ってもらい、それがたとえ下心からの優しさだとしても本当に嬉しかった。

そしてこの時だ、私の家がおかしいのだと気づき始めたのは。

彼といるとすべてが心地よかった。

優しかった。

このことが、後々毒親を調べるきっかけとなる。