自分の権利

自分の権利

1、私には、今まで得ることのできなかった 安定した生活をしてよい権利があります。
2、私には、人生に楽しみを見つけ、今この時を楽しみ、この喜びを長く持ち続けてよい権利があります。
3、私には、健全な環境で リラックスしてよい権利があります。
4、私には、健全な人たち、場所、状態を求めてよい権利があります。
5、私には、自分にとって安全でないことや、心の準備ができていないこと、嫌なことに「ノー」と言ってよい権利があります。
6、私には、周りの人たちとの身体的または精神的に危険な行動に加わらなくてもよい権利があります。
7、私には、新しいことにチャレンジし、適当なリスクを引き受けていく権利があります。
8、私には、自分の思考・態度・行動・言動を変えてよい権利があります。
9、私には、間違ってもよい権利があります。
10、私には、できないことがあってもよい権利があります。
11、私には、害になるような人間関系から去ってもよい権利があります。
12、私には、相手から馬鹿にされたり、見下されたり、皮肉を言われたり、攻撃されたとき、会話を止めてもよい権利があります。
13、私には、私のすべての感情を感じる権利があります。
14、私には、自分の体から出るメッセージ、自分の決断力、第六感を信じてよい権利があります。
15、私には、人間として、情緒的にも、精神的にも、成長していってよい権利があります。
16、私には、自分の考えや感情を、健全な方法で安全に主張していい権利があります。
17、私には、自分に必要な時間と場所をとって、癒しをしていい権利があります。
18、私には、親や他人から学んだものの中から、よいものを自分のものとし、悪いものは捨てて言ってよい権利があります。
19、私には、自分の生き方、自分の個性を大切にして、他人の目を気にしなくてよい権利があります。
20、私には、自分を愛し、自分の世話をし、自分の居所を作ってよい権利があります。
21、私には、自分の境界線を守り、相手に侵入せず、相手から侵入されない権利があります。
22、私には、自分が幸せになってもよく、私の周りの人にも幸せを分けてもよい権利があります。

 

こんなのあたりまえだという内容なのだが、毒親育ちだとこんな当然の感覚さえ持てなくなっていることが多い。

私は毎日毎日これを寝る前と朝出勤前に唱えた。

すると変化が現れた。

例えば、頼まれごとをしたとき。本当は断わって早く帰りたいのに、毒親に接していた時のように自分の感情そっちのけで相手を優先していた。

しかし、自分を尊重し自分の感情を無視しない訓練をすると、まずは相手優先ではなく自分優先になれた。

まずは自分を大事にする。そして余裕があれば他人を助ける。

愛されて育った人はこれを当たり前にできている。

まずは刷り込まれた意識を完全に覆すことが大事だ。そこでこれが役に立つので載せておいた。

今人生に生きづらさを感じている人はぜひ毎日唱えてみてほしい。

更に次の記事にもうひとつ、解毒に役立った方法を載せようと思う。

人生が変わる

アダルトチルドレンの人と愛情を受けて育った人は本当に根本的に何もかもが違う。

 

例えばスカイダイビングをすることになったとする。

 

高所恐怖症の人を例外に、普通の人は初めての体験だし非日常的なイベントなのでドキドキするはずだ。

 

だが、ドキドキワクワクしたとしても、普通の人は「無事着地しなきゃ」とか「無事帰れるかな?」等、生還前提で楽しむ。

 

アダルトチルドレンはどうなのかというと、「死んでもいいや」「楽しければいいや」、こう思う。

 

人生は楽しくないし、自分のことは大事じゃないし、愛する人も愛してくれる人もいない。

 

スカイダイビングを例にしたが日常的にこんな思考に陥っている。

 

普通の人は暇だからなんか楽しいことないかな、だとか、刺激がほしいな、と楽しむところをアダルトチルドレンの場合は生きることの辛さから逃れたい、忘れたい、そんな気持ちで過ごす。

 

つまり自分を大事にできない。

危険なこともしてしまうし躊躇しない。だから自傷行為や依存症になりやすい。

 

私の場合は彼氏、恋愛依存、過食、過食嘔吐、そんな感じだった。

 

母はほぼインスタントの食事しか出さないので慢性的にビタミンやミネラルが不足していた。そのため食欲が止まらなかった。(後々栄養学やボディメイクプロセスを勉強して知ったがビタミンやミネラルが不足しているといつまでも食欲がとまらない。そこでジャンクフードやインスタント等のエンプティフードを摂っても満たされず食べ続けてしまうことを知ったのだが当時は知らなかった)

 

私は朝インスタント、昼菓子パン、夜レトルトという不健康そのものな生活をずっと送っていた。

BMIは高かったし太っていた。

そして追い打ちをかけるように母は

「3食こだわって食べるなんてしてられない。なにより卑しい。」

そういうことをいつも言っていた。

そのせいで私は過食に加え過食嘔吐になってしまった。食べては吐いた。

普通の親ならこういうだろう。

「栄養ある物いっぱい食べて健康にね。」

母は普通の親ではない。

そんな私でも彼氏ができたのは今思えば本当に奇跡的だった。

 

彼氏は私に優しかった。いや、世間一般ではそれが普通くらいの対応をされていたのだが、当時の私は家族と比べていたので彼氏はとても優しく感じた。

まあ今になって思えば彼は結局のところ女子高生なら誰でもいい、そんなただの気持ち悪いロリコンだったのだと思う。

 

そんな彼でも家に来てくれれば姉からの暴力はなくなったし、家がイヤになれば彼の家にお邪魔させてもらえたのでとても依存した。

 

だがここで問題が発生した。

私は今まで耐えてきた感情が爆発してしまったのだ。

 

愛してほしい、本当に愛しているのか、大事なのか、嘘なんじゃないか、証明して!もっと愛をくれ!!

そんな状態になってしまったのである。

今まで寂しい、だとかもっと抱きしめてほしいとか、そんな感情を抑えこみすぎたのが彼に対して一気に噴出するようになった。

彼に父親からの愛のような、無条件の愛情を求めた。

どんなに優しくされてもそれは嘘だと疑った。母や姉が利益目的で人に接する様をずっと見てきたものだから人を信用できなくなったためだ。

更に今までの人生で「自分は愛される価値もない人間」という価値観を作り上げてしまった。

だからどんなに彼に「好きだよ、大事だよ、愛してるよ」と口で言われようと誕生日にケーキやらテレビやらを買ってくれようとも信じられなかった。

どうせ今だけ私を利用するんでしょ!心からは愛していないんでしょ!

ずっとそんな調子だった。

彼はいつか私を見捨てていなくなる。

そんな恐怖に襲われた。

彼は人生で初めて私を親より大事にしてくれた。実際のところ親代わりだったのだと思う。

そしてもっと厄介なことに、姉からされた仕打ちを彼にするようになった。

「私が嫌いなんでしょ!正直に言って!死ねば気が済むんでしょ!もう用なしなんでしょ!」そう責め立て続けるのだ。

この状態の私はそれらの言葉をただ否定し、「そんなことないよ」そう言って包んでほしい、見捨てないと証明してほしい。と望んでいたように思う。

彼も最初のうちはびっくりはしたものの、なんとか宥めてくれたりしていた。

だが私の不安は消えることがなかった。

「どうせ彼は私を見捨てる。優しいのは今だけ。」

彼がいなくなったら私はまた誰からもあいされない、具合が悪くても心配すらされない。そんな孤独へ戻る。そうなるくらいなら死にたいと思った。

当時の私はひどく彼に依存し、本当に心から好きだと思っていたので(今思い返すと、父親のような存在だった)見捨てられる前に、愛されているうちに彼の腕の中で死にたい。見放された惨めさや孤独、絶望感を感じる前に死にたい。幸せなままもう人生をやめたい。

本当にそんなふうにおもっていた。

彼からの優しさを信じれない、言い換えれば自分が誰かに愛される存在なわけがない、そんな思考なので彼が何をしてくれても安心はなかった。

そんな調子だったので彼も疲れてしまったのだろう、ついに彼と終わりを迎えた。

 

解毒した今、思い返すと何故彼がよかったかわからない。

タバコを吸っていたし、ロリコンだし、今の私ならどんなに優しくされようとお付き合いしたくもない。

でもそれは、解毒した後だから正常な判断をくだせているのだ。当時は自分のことをゴミのように思っていたので、嫌いなタバコを吸っていようが少女趣味で大人から相手されないような人間だろうが、すがった。すがるしかなかった。

毒親育ちはこういった怖さ、弱みがある。

自分の価値を信じられないせいで、自分を軽く扱ってしまう。しかももっと悪いことに、自分を大切にしない人は、他人からも愛されない。

例えば大事に大事にいつも綺麗にされている花瓶があるとする。自然と自分も大事にしなきゃな、という意識が働く。

一方、ひび割れていてどうでもいいように扱われている花瓶があるとする。まあもともと壊れてるし雑に扱ってもいいや。そんな意識の違いが生まれる。

有名なのは割れた窓の学校と、綺麗な窓の学校の話だ。気になったら検索してみてほしい。

とにかく人間はそういった心理が働くというのだ。

つまり毒親からぞんざいに扱われ、結果自分自身も自分を軽く扱う。すると彼からも周りからも大事にされるわけがない。

毒親育ちはそれが当り前になり、自分は必要ない人間なのだと更に自分に自信をなくす。

人間の価値なんて、最初は親が基準となる。

どんなに酷い容姿でも、親から愛され大事に大事にされるとオーラが違う。それに加え容姿以外がのびる。コミュニケーション能力だったり、特技だったり学力だったり。そして何より自己肯定感が育つ。

反対に、どんなに美しくとも親から愛されず否定ばかりされた子は自分に自信がない。加えてその子になんの投資もしないので学力がのびることもないしなんの特技もない。むしろ勉強の邪魔をされたり食事すら最低限用意されずいつも不健康。そして自己肯定感もない。

これは本当にその子の一生を左右する。

いつも死にたい、人生が辛いと思うなら毒親を一度は疑うといい。

最初は信じたくないと思う。自分の親が自分に愛がなかったなんて。自分の子供より親自身のほうが大事だと思っていたなんて。

だがされてきたことは事実なのだ。

そしてよく毒親を許すべきだという意見もあるが、私は決してそう思わない。

そんなこと言えるのは、普通に愛され育ち、親からの愛を受けたから言えるのだ。

毒親を許すというのなら、自分の子に毒親のような仕打ちをできるか、自問自答してほしい。

普通の親なら絶対にできないだろう。

また、毒親がする行為を他人にやったとしよう。暴力暴言差別。それは犯罪だ。

何故、子供になら許されるのか?

保育士がネグレクトして子供を放置したとしよう。みんなそんな保育士を責めるし社会的にも信用がなくなるだろう。

ところが、親が子にしても何も問われない。

そして餌だけ与えておくように、体だけ大きくしたら「育ててもらったんだから感謝しろ」。

愛され育ってきた子が一級建築物だとしたら毒親育ちは張りぼてに過ぎない。

体だけ大人。そうしたらもう過去はなかったことにして親に感謝。

ふざけるなという話だ。

日本は世界に比べても、親というだけであがめられる。

親になるなんて誰でもできる。なったからには子供を愛す。それができないなら生むべきではない。

毒親は決まって「育ててやってる。」「産んでやった。」そう口にする。

誰も頼んでいないのだ、そんなこと。勝手に産み落とされた。

子供は親を選べない。

だから、親になったからにはその子を愛し抜く。それが大事だと本当に実感する。

 

今現在自分の親が毒親だと気づいて絶望している人がいても安心してほしい。

今からでも自分の意識を変えられる。

自分を大事にできるようになる。

次の記事に私が実際に解毒に役立った資料を載せるので参考になれば幸いだ。

 

 

本当の自分

私は今までずっと死にたいと思って生きてきた。

彼ができて、はじめて楽しいと思えた。

それはなぜかというと、私の事を否定せず、本音を言っても怒られない、優しくしてくれる。

私がここにいてもいいのだと、感じさせてくれる。

初めて生きてる心地がした。

 

その彼とは別れてしまったのだが、毒親を知るきっかけとなった。

私の家はおかしいときづいたからだ。

 

私が家をでて、自分で生活を始めたとき、ネットで死にたいと検索した。

すると毒親アダルトチルドレンのページが今の自分そっくりだときづく。

 

そこには毒親の特徴や解毒方法などが書いてあった。

私はそれを実践した。

誰かのためではなく自分のためだけに生きることを強く誓った。

毒から離れて暮らし、解毒方法を毎日実践したところかなり人生に希望をもてるようになった。

人と付き合うのも少しだけ楽になった。

 

今人生に苦しんでいる人は、家庭環境の影響もあるかもしれない。

 

人生、人格の土台作りを妨害された状態なのかもしれない。

 

今からでもその土台を補強することができる。まず毒親の概念を知り、自分を責めたり蔑むのをやめること。

 

本当にこれだけでかなりの違いがある。人生が少し楽になる。

 

 

毒親と気づくきっかけ

毒親をもった人達はえてして自分を軽く扱うように思う。

潜在意識として

「母親にも必要とされないダメな人間」

そんな風に思ってしまう。いや、思わされてしまう。長い時間をかけて。

私も例外なくそうだった。

 

家に居場所がない。

母親は仕事で手一杯、休みはパチンコ。

 

小学校の頃朝食は毎回インスタントコーヒーに菓子パン。またはインスタントラーメン。

毎朝学校に着く頃には胃が痛くなっていた。今思えば朝っぱらからカフェインと油まみれの菓子パンやインスタントラーメンを食べていればそうなって当然だった。

誰もいないリビングはひんやりしていて薄暗いなか一人でインスタントを口にして誰にも挨拶せずされず家をでる。

キリキリと痛む胃で勉強に集中できなかった。

家庭科の授業で栄養の大事さ、日々の食生活のありかたを学んだ時、家の食事とは違いすぎて慌てて母に報告した時があった。

「お母さん、栄養バランスはすごく大事で野菜とかいっぱいとったほうがいいんだって!」と。

すると母は

「毎日3食も食べなきゃならないんだからそんな一食一食こだわっていられない。」

母はこういう人間だ。

このせいか私は独り立ちしてからは健康に気を使うようになった。

ジャンクフード、インスタント、お菓子は基本的に摂らない。付き合いやたまにの息抜きで食べることはあっても常食しない。添加物を摂らないよう気をつけ自炊を心がけた。

すると実家で生活していた時いつも感じていた胃痛や胃もたれ、ニキビや疲れやすさ等すべて改善された。当たり前といえば当たり前の結果なのだが。

母は自分の時間がなくなるくらいなら子供は不健康になってもかまわない。そんな人だ。

そんな母親はデパ地下で買い物するのが大好きだった。

美味しい果物や美味しいカニなどを買ってくることもあった。

だがそれを食べるのはいつも年の離れた姉と母親だった。

いつも決まって聞こえてくる会話はこうだ。

母「美味しいから食べて。」

姉「妹と弟はいいの?」

母「あの子たちはこういうの嫌いだから。」

嫌いと言った覚えもなければそもそも食べさせてもらった記憶がない。

そして最近になって何故母は姉にだけ食べさせていたのかわかった気がする。

姉はその頃一応働いていて、時々母親にお返しということでデバ地下からおみやげを買ってくることがあった。

母は利益があると見込んで姉には食べさせていたのだと思う。

何故こう思ったのかというと、私が就職し独立した途端母が美味しいからこれ食べなさいとデパ地下の果物やらなにやらを買って渡してくるようになったからだ。

本当に恐ろしく思う。

私が必要としていたのは今じゃない。経済力もなにもなかった子供時代だというのに。

そんな母だったが子供だった私は母が好きだった。

子供はみんなそうだ。

どんな虐待をする親も、子供を軽くぞんざいに扱う親であっても、子供というのは母を無条件に愛する。

私は幼い頃おばあちゃんからもらったお年玉(一度母に渡して母から少し貰える)で母親に誕生日プレゼントを毎年かかさなかった。

お花や手紙、母が好きなチョコ、買える範囲でいつも用意した。

母がパチンコで負けるとその月は経済的に厳しくなった。

中学の頃はいつも授業料を払うのが遅れるため私だけ事務室に手渡ししに行っていた。

今思うと自分なら、子供にそんな思い絶対させない。

母は本当に子供のことがどうでも良かったのだと実感する。

そして更にアダルトチルドレンに拍車をかけることになったのは姉の存在だった。

飲み屋をやめて実家にもどってきて毎日寝ていた。

姉は機嫌が良い時は表面上思いやりのある態度もとる姉だった。だが一旦キレると途端に豹変する。

例えばある日のこと。

ドアを閉める音がうるさかったらしく姉が部屋からでてきた。

「うるさいんだけど!私へ何か文句あるわけ?家にずっといるからうとましく思ってるんでしょ!」

そんなこと思ったこともないので違うよ、と姉をなだめる。

はたまた姉が自分から話しかけてきて、

姉「宿便って知ってる?腸に便が貯まるとすごい体によくないんだって!もう二三日でてないからやばい!」

「そうなんだ、早く腸から出て行ってほしいね!」

そう言うと途端に無表情になり睨みつけられ、

姉「どういう意味?私に出て行けって言ってるの?!ねえ!」

そう言ってどつかれる。

姉は私と15歳以上年が離れている。身長は170近くあり私は当時小学生だったのでとても怖かった。

自分からはなしかけてきて、それに対して普通に答えるといきなりキレるという理不尽な態度をいつも繰り返された。

そんなものだから正直話しかけてこられるのが嫌になった。

ある平日の夜、部屋にいるとコンコンとノックされた。母は夜勤でいなかった。

姉だった。

姉は当時政治について私に熱く語った。

私はちゃんと返事しようと頑張って話を聞き、相槌を入れながら話を聞いた。

だが私にも他にやりたいことはある。

小学高学年だった私は宿題もやりたいし、姉が話し始めて30分は経っていたので

「そうなんだね、今の日本は大変だね。そろそろ宿題はじめたいからまた聞かせて!」

私は言葉を選び不快にさせないよう注意を払った会話しかできない子になっていた。

とてもとても気を遣い本音で話したりできなかった。

姉はそれでもキレる。いきなり無表情になり睨まれ

姉「私の話つまんなかった?」

「そんなことないよ、ためになったよ。でもそろそろ夜9時だし宿題しなきゃ。」

姉「そんなこと言ってつまんないとでも思ってんでしょ?!そもそも私がこうして無職で家にいるのはあんたのクズな父親のせいだから!!あんたの父親に私の人生はこわされた!!謝れ!」

そういってどついてくる姉。

私と弟は同じ父親だが姉と兄とは父親が違う。

だが、このようにいってくるのは姉だけで、兄は私達をとてもかわいがってくれていた。

兄はこの時もうこの世にはいなかったが。

姉はキレると私を寝かせてくれなかった。

「ねえ!ほんとのこといいなよ!私がきらいなんでしょ!死ねばいいんでしょ!」

そう攻め立て、そんなことはないと否定してもまた同じセリフを怒鳴ってきた。

結局私は朝まで怒鳴りつけられ、

姉「最悪!あんたなんか学校いくときに死ねばいい!」

そう言ってドアをばんっ!!と閉められた。

姉はこれから一日部屋に閉じこもって眠るのだ。

私は一睡もせず学校へ行かなければならなかった。

本当に辛かった。

母に打ち明けたこともあった。お母さんが夜勤にいっている間、こんなふうで辛いと。

母は

「我慢しなさい。お母さんは仕事で疲れてるの!」

そう言った。

これはまだマシなほうで、もっとひどい時姉は殴る蹴るの暴行を加えてきた。

体格差が大きいし、小学生である私が15歳年上の大柄な大人に抗うことはできなかった。

いつも流れは同じ、自分から話しかけてきて、どんな返事を返しても突然ブチギレる。

怒鳴られるだけで済むか、殴られ蹴られるか。

皿をわざとキッチンに落とし

姉「あーあ、手が滑った。片付けて。」

そう無表情で言われた時は本当に怖かった。

そんな姉も母と同じく、外面はよすぎというタチの悪さだった。

ニコニコニコニコ、おべっかつかい。

運動会で友達から

「お姉さんにこにこしすぎてて怖いね。」

と、お昼後に言われた。確かに無駄ににこにこ愛想を振りまいていた。

そんな姉の事を母はよく私に愚痴った。

母「働きもしないで〜あの子のせいで借金できて〜」

だが母は姉の前では姉にヘコヘコする。

小学生の私は混乱していたように思う。

そして母は弟や姉に私の愚痴をいうこともあった。

つまり家族内でその場にいない誰かの悪口を、母が率先していつも言っていたのだ。

普通の親であれば、兄弟同士仲良くしてほしいと思うはずなのだが母は違う。

できれば仲が悪いほどいいとすら思っていたように思う。

そして皆と仲がいいのは私だけ、という状況を母は好んでいた。

今思うと狂ってるとしか思えない。

自分なら自分達の子がいがみ合うなんて想像もしたくないし、もしここはよくないと思う点があるなら愚痴なんて言ってないで本人に直接

「そういうとこはおかしいと思うよ。あなたのためにもならないよ。」

と伝えるべきだ。

そもそも母は子供のために叱るなんてなかった。なんにも干渉しない、ただ悪口を兄弟の誰かに愚痴る。

こんな家庭環境のせいか、私は自分を大切になんてできなかった。

高校の時、初めて恋人ができた。

恋人は10歳も年上だった。

彼は甘い言葉で私を包んだ。今思うと彼は高校生とヤリたいだけのロリコンおやじだ。

だが当時の私にとっては救いの手だった。

なぜなら家に彼がくると姉から暴言、暴力を振るわれることがなかったからだ。

姉は彼が来ると今まで家で着たことのないおしゃれ着などを着て、いつもにこにこして猫なで声だった。

本当に不気味だった。

彼は私を褒めてくれるし優しくしてくれる。

ワガママを言っても受け止めてくれた。

それが私を逆に苦しめることとなった。

なぜなら家での家族からの扱いに愛がひとつもないことを実感してしまうからだった。

例えばトイレで吐いてしまった時。

姉は私を怒鳴りつけた。トイレのドアを外からドンドンドンドン!叩きながら

「なにしてんの?!吐いてるの?!」

私はとりあえず吐き終わりトイレを掃除してから外に出ると姉が

姉「あーあ、トイレ汚れたしょ!はあー、最悪!」

と掃除したにもかかわらず悪態をつかれ、妹の体調より便器の心配をされる。

母は「大丈夫〜?肥満にならなくてよかったしょ!」

と具合悪い人に普通では言えないような言葉をかけてくる。

だが彼は違った。具合悪くて吐いてしまった時

「大丈夫か?ちょっと休もうか。」

まあこれは普通の対応なわけだが、今まで普通の優しさに触れたことのなかった私は彼にとことん依存した。

自分は今までゴミのように、はたまたそこにいないかのように家族から扱われた。

彼から一人の人間として扱ってもらい、それがたとえ下心からの優しさだとしても本当に嬉しかった。

そしてこの時だ、私の家がおかしいのだと気づき始めたのは。

彼といるとすべてが心地よかった。

優しかった。

このことが、後々毒親を調べるきっかけとなる。

 

 

 

 

 

【毒親】思い返せば返すほど

私の親は完全に毒親だった。

現在アダルトチルドレン毒親、そういった知識を持ち親への希望を一切捨てた。

そんな今だからこそ毒親との過去を記そうと思う。これは自分の過去を整理する目的でもある。

全ての嫌な過去を文章化し、整理し終えたあかつきにはこの思い出すのも嫌な過去を完全に捨て去る。

そして悲しく寂しかった幼い自分を成仏させてあげたい。

また、今現在毒親に苦しみ、たまたまこの記事を読んでいる人がいたら、希望を持ってほしい。いつか必ず苦しさから逃れられる日が来る。

さっそく過去を振り返ろうと思う。

母はシングルマザーで父親とは離婚、17歳年の離れた父親違いの姉は家を出て飲み屋で働いていたが長く続かず無職になり実家に帰ってきていつも家で寝ていた。

姉は奈々子。その下には長男、姉から見て弟、私から見ると兄。そして私、弟の4四人兄弟だった。

そのうちの長男である兄は毒親の作る機能不全家庭に潰され自殺してしまった。当時はわかっていなかったが今になってわかる。

こんなおかしな家庭で育てば死にたくもなる。

母親の毒親ぶりはあげればキリがないのだが、鮮明に覚えているエピソードがある。

私がまだ幼い頃、年齢ははっきりと覚えていないが小学生にも満たなかったように思う。

母はよくパチンコに行っていた。

その日もパチンコに行った。母は

「夜7時までには帰る。」

そう言い残し私と弟を家に置いていった。弟はまだ歩くのもおぼつかない幼さだった。

姉はまだ家に引きこもる前で実家にも帰ってきていない時なので私と弟の二人で母の帰りを待った。

お昼から母はいなくなったのだがそれからの時間がとても長く感じた。

最初はまだ外も明るく、夜の7時になれば母に会える。そう思えば辛くはなかった。

食事は口にしていなかったように思う。

弟とテレビを見たり寝たり遊んだり帰りを待った。

ようやく、約束の夜7時。やっとママに会える。当時の私は母をママと呼んでいた。

だが母は帰ってこなかった。

一時間、二時間と時間はどんどん過ぎた。

(ママに何かあったのかな…?事故にあってたらどうしよう。寂しい…。)

心がザワザワして落ち着かず、テレビも遊びも楽しくない。お腹も空いてるはずだが全然食べたくならなかった。

時計ばかりを見つめた。弟は寝たりテレビをただ眺めていたりしていた。

幼い私は気が気ではなく、当時家に置いてあった置物に両手を合わせ泣いてすがったのを覚えている。

「どうかママが無事に帰ってきますように!良い子でいるしわがまま言わないからおねがいします、ままに会いたいです。」

そのようなことを神棚と置物の前で泣きながら唱えていたように思う。

その当時、電話連絡もできず神頼みすることしかできなかったのだ。

時計は夜の10時も回り、家の中で待ち続けることができず玄関の前で母を待った。

家は10階建てのマンション、その玄関ロビーのオートロック前で弟と手をつなぎ泣きながら外を見つめ母を待った。

すると一階にお住まいの奥さんが私達に気づき、どうしたのかと声をかけてくれた。

「ママが帰ってこない。」

すると一緒に家の中で待ちましょう、と家へあげてくれた。

お菓子や飲み物まで用意してくれてとても優しかった覚えがある。

だが幼い私は母がこのまま帰ってこないのではないかと恐怖でいっぱいでお菓子も飲み物も喉を通らず泣き止むことができなかった。

奥さんは母が帰ってきたら迎えにこれるように、とメモを私達の玄関ドアに貼ってくれた。

「お子様を預かっています。○○○号室 名字」

そして長い待ち時間が過ぎ一日が終わろうとする0時ちょっと前にピンポンがなった。

私はとっさに玄関へ向かう。

奥さんも弟と手を繋ぎながら玄関へ。

ドアを開けると笑顔で申し訳無さそうな顔をした母がいた。

パチンコ帰りのタバコ臭さと香水と、外の臭いがした。

私は母に抱きついた。

母は

「すみません!こんな夜遅くにうちの子が迷惑かけて。仕事が長引いてしまったんです。よかったらこれどうぞ〜!」

そう言って何かを渡した。

当時の私は奥さんにお礼も言わず泣きながら母に抱きついていた。今思うと非常識であった。

そして一階から自分達が住む9階へあがるエレベーターで泣きじゃくりながら

「ざみじがっだぁああ!」

と泣きつくと母は

「なんでおとなしく待てないの!?メリーのチョコ(母がよく買うチョコレートメーカー)あげるハメになったしょや!」

そう私へ怒鳴りつけた。

その後のことはよく覚えていない。

この記憶は私を長い間傷つけ続けることとなる。

成人した後も夢にでて、体調が悪い時も頭をよぎり、当時の辛かった感情が蘇り心臓が苦しくなった。

このような出来事が積み重なり、私は寂しいという感情を閉じ込めるようになった。

同時にあまり笑うこともなくなった。

それに比べて弟は私よりは優遇されていた。

毒親を知ってこのことを思い返すと本当に憤りを覚える。

よくも自分の子供を長時間置いていけたものだと。そして泣きつく我が子より世間体、そしてたかがマリーだかメリーだかのチョコレートが大事だったのかと。

そして外面だけは異常によかった母親。

まだまだ毒親の毒はこれだけではない。

次の記事でまた書こうと思う。