人生が変わる

アダルトチルドレンの人と愛情を受けて育った人は本当に根本的に何もかもが違う。

 

例えばスカイダイビングをすることになったとする。

 

高所恐怖症の人を例外に、普通の人は初めての体験だし非日常的なイベントなのでドキドキするはずだ。

 

だが、ドキドキワクワクしたとしても、普通の人は「無事着地しなきゃ」とか「無事帰れるかな?」等、生還前提で楽しむ。

 

アダルトチルドレンはどうなのかというと、「死んでもいいや」「楽しければいいや」、こう思う。

 

人生は楽しくないし、自分のことは大事じゃないし、愛する人も愛してくれる人もいない。

 

スカイダイビングを例にしたが日常的にこんな思考に陥っている。

 

普通の人は暇だからなんか楽しいことないかな、だとか、刺激がほしいな、と楽しむところをアダルトチルドレンの場合は生きることの辛さから逃れたい、忘れたい、そんな気持ちで過ごす。

 

つまり自分を大事にできない。

危険なこともしてしまうし躊躇しない。だから自傷行為や依存症になりやすい。

 

私の場合は彼氏、恋愛依存、過食、過食嘔吐、そんな感じだった。

 

母はほぼインスタントの食事しか出さないので慢性的にビタミンやミネラルが不足していた。そのため食欲が止まらなかった。(後々栄養学やボディメイクプロセスを勉強して知ったがビタミンやミネラルが不足しているといつまでも食欲がとまらない。そこでジャンクフードやインスタント等のエンプティフードを摂っても満たされず食べ続けてしまうことを知ったのだが当時は知らなかった)

 

私は朝インスタント、昼菓子パン、夜レトルトという不健康そのものな生活をずっと送っていた。

BMIは高かったし太っていた。

そして追い打ちをかけるように母は

「3食こだわって食べるなんてしてられない。なにより卑しい。」

そういうことをいつも言っていた。

そのせいで私は過食に加え過食嘔吐になってしまった。食べては吐いた。

普通の親ならこういうだろう。

「栄養ある物いっぱい食べて健康にね。」

母は普通の親ではない。

そんな私でも彼氏ができたのは今思えば本当に奇跡的だった。

 

彼氏は私に優しかった。いや、世間一般ではそれが普通くらいの対応をされていたのだが、当時の私は家族と比べていたので彼氏はとても優しく感じた。

まあ今になって思えば彼は結局のところ女子高生なら誰でもいい、そんなただの気持ち悪いロリコンだったのだと思う。

 

そんな彼でも家に来てくれれば姉からの暴力はなくなったし、家がイヤになれば彼の家にお邪魔させてもらえたのでとても依存した。

 

だがここで問題が発生した。

私は今まで耐えてきた感情が爆発してしまったのだ。

 

愛してほしい、本当に愛しているのか、大事なのか、嘘なんじゃないか、証明して!もっと愛をくれ!!

そんな状態になってしまったのである。

今まで寂しい、だとかもっと抱きしめてほしいとか、そんな感情を抑えこみすぎたのが彼に対して一気に噴出するようになった。

彼に父親からの愛のような、無条件の愛情を求めた。

どんなに優しくされてもそれは嘘だと疑った。母や姉が利益目的で人に接する様をずっと見てきたものだから人を信用できなくなったためだ。

更に今までの人生で「自分は愛される価値もない人間」という価値観を作り上げてしまった。

だからどんなに彼に「好きだよ、大事だよ、愛してるよ」と口で言われようと誕生日にケーキやらテレビやらを買ってくれようとも信じられなかった。

どうせ今だけ私を利用するんでしょ!心からは愛していないんでしょ!

ずっとそんな調子だった。

彼はいつか私を見捨てていなくなる。

そんな恐怖に襲われた。

彼は人生で初めて私を親より大事にしてくれた。実際のところ親代わりだったのだと思う。

そしてもっと厄介なことに、姉からされた仕打ちを彼にするようになった。

「私が嫌いなんでしょ!正直に言って!死ねば気が済むんでしょ!もう用なしなんでしょ!」そう責め立て続けるのだ。

この状態の私はそれらの言葉をただ否定し、「そんなことないよ」そう言って包んでほしい、見捨てないと証明してほしい。と望んでいたように思う。

彼も最初のうちはびっくりはしたものの、なんとか宥めてくれたりしていた。

だが私の不安は消えることがなかった。

「どうせ彼は私を見捨てる。優しいのは今だけ。」

彼がいなくなったら私はまた誰からもあいされない、具合が悪くても心配すらされない。そんな孤独へ戻る。そうなるくらいなら死にたいと思った。

当時の私はひどく彼に依存し、本当に心から好きだと思っていたので(今思い返すと、父親のような存在だった)見捨てられる前に、愛されているうちに彼の腕の中で死にたい。見放された惨めさや孤独、絶望感を感じる前に死にたい。幸せなままもう人生をやめたい。

本当にそんなふうにおもっていた。

彼からの優しさを信じれない、言い換えれば自分が誰かに愛される存在なわけがない、そんな思考なので彼が何をしてくれても安心はなかった。

そんな調子だったので彼も疲れてしまったのだろう、ついに彼と終わりを迎えた。

 

解毒した今、思い返すと何故彼がよかったかわからない。

タバコを吸っていたし、ロリコンだし、今の私ならどんなに優しくされようとお付き合いしたくもない。

でもそれは、解毒した後だから正常な判断をくだせているのだ。当時は自分のことをゴミのように思っていたので、嫌いなタバコを吸っていようが少女趣味で大人から相手されないような人間だろうが、すがった。すがるしかなかった。

毒親育ちはこういった怖さ、弱みがある。

自分の価値を信じられないせいで、自分を軽く扱ってしまう。しかももっと悪いことに、自分を大切にしない人は、他人からも愛されない。

例えば大事に大事にいつも綺麗にされている花瓶があるとする。自然と自分も大事にしなきゃな、という意識が働く。

一方、ひび割れていてどうでもいいように扱われている花瓶があるとする。まあもともと壊れてるし雑に扱ってもいいや。そんな意識の違いが生まれる。

有名なのは割れた窓の学校と、綺麗な窓の学校の話だ。気になったら検索してみてほしい。

とにかく人間はそういった心理が働くというのだ。

つまり毒親からぞんざいに扱われ、結果自分自身も自分を軽く扱う。すると彼からも周りからも大事にされるわけがない。

毒親育ちはそれが当り前になり、自分は必要ない人間なのだと更に自分に自信をなくす。

人間の価値なんて、最初は親が基準となる。

どんなに酷い容姿でも、親から愛され大事に大事にされるとオーラが違う。それに加え容姿以外がのびる。コミュニケーション能力だったり、特技だったり学力だったり。そして何より自己肯定感が育つ。

反対に、どんなに美しくとも親から愛されず否定ばかりされた子は自分に自信がない。加えてその子になんの投資もしないので学力がのびることもないしなんの特技もない。むしろ勉強の邪魔をされたり食事すら最低限用意されずいつも不健康。そして自己肯定感もない。

これは本当にその子の一生を左右する。

いつも死にたい、人生が辛いと思うなら毒親を一度は疑うといい。

最初は信じたくないと思う。自分の親が自分に愛がなかったなんて。自分の子供より親自身のほうが大事だと思っていたなんて。

だがされてきたことは事実なのだ。

そしてよく毒親を許すべきだという意見もあるが、私は決してそう思わない。

そんなこと言えるのは、普通に愛され育ち、親からの愛を受けたから言えるのだ。

毒親を許すというのなら、自分の子に毒親のような仕打ちをできるか、自問自答してほしい。

普通の親なら絶対にできないだろう。

また、毒親がする行為を他人にやったとしよう。暴力暴言差別。それは犯罪だ。

何故、子供になら許されるのか?

保育士がネグレクトして子供を放置したとしよう。みんなそんな保育士を責めるし社会的にも信用がなくなるだろう。

ところが、親が子にしても何も問われない。

そして餌だけ与えておくように、体だけ大きくしたら「育ててもらったんだから感謝しろ」。

愛され育ってきた子が一級建築物だとしたら毒親育ちは張りぼてに過ぎない。

体だけ大人。そうしたらもう過去はなかったことにして親に感謝。

ふざけるなという話だ。

日本は世界に比べても、親というだけであがめられる。

親になるなんて誰でもできる。なったからには子供を愛す。それができないなら生むべきではない。

毒親は決まって「育ててやってる。」「産んでやった。」そう口にする。

誰も頼んでいないのだ、そんなこと。勝手に産み落とされた。

子供は親を選べない。

だから、親になったからにはその子を愛し抜く。それが大事だと本当に実感する。

 

今現在自分の親が毒親だと気づいて絶望している人がいても安心してほしい。

今からでも自分の意識を変えられる。

自分を大事にできるようになる。

次の記事に私が実際に解毒に役立った資料を載せるので参考になれば幸いだ。